W N T R A S A P

He who waits for winter, storing nothing

Promise

きっと踊りましょう そのときは ふたりで
約束はしない このつぎ 会えたら

yes, mama ok?「問と解」、1997)

シュレディンガーを流石だなと思うのは、かの有名な猫と毒入りの箱を思考実験に留め置いたこと、すなわち実作しなかったことにある。動物愛護精神から言っているのではなく。だって人は大抵箱を作る。作らずにはいられないかのように。例えば約束を取り決めることも、箱の実作と同じだと思う。「○月○日の△△時に■■■■で会いましょう」と約束したら、もうあとは機械仕掛けの箱の中で開けられる瞬間を待つ猫でいるわけである。不安だから約束という箱を作るのに、箱を作ることで不安は具体的な輪郭をもつ。だから約束は曖昧であればあるほど好ましい。未来が希望との重ね合わせ状態を保っていられるのは、シュレディンガーの猫が閉じた箱の中にいるからではなく、そもそも一切が思考実験というエーテルの中でプカプカしているからだ。冒頭で引いた『問と解』の曲中人物は約束をしないから永遠に訪れることのない歌詞の3番か4番で踊っていられる。(他方、箱が開けられた後で「あったかもしれない過去」を現像するタイプのフィクションにも別様の甘美さがある。むしろこっちの方がポピュラーかもしれない。『ハチクロ』の5人の脳裡には行ったかもしれない海の写真がきらめき続ける。)いずれにせよ、いかに現実をダブワイズしながら生きていられるか、ということをよく考えてしまう。なんかちょっとにゃるらの日記みたいな今回。